早尾貴紀:原発震災関連

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zoom RSS 神戸の集会を終えて

<<   作成日時 : 2011/03/29 09:54   >>

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(3月29日、記す)

みなさま

 早尾@神戸です。
(まだおひとりおひとりに十分返信を差し上げることができないことをお許しください。)

 神戸での集会をなんとか終えることができました。
 予想を超える参加者数だったこともあり(60人ぐらい?)、前もってイメージしていたのとは若干異なる雰囲気となりましたが(マスコミも多く来てしまい)、でも、仙台や福島などから自主的に避難してきた人たちと、神戸や京都・大阪の方々とが一堂に会し、さまざまな体験や思い、取り組みについて、たっぷりと時間をかけて語り合うことができました。
 また子どもたちもたくさん集まり(子どもの部屋は二階別会場でしたので、存分に騒げました)、地震後、休校や避難のために、そうした機会を失っていた子どもたちにとっては、久しぶりにはしゃげる場となったことと思います。避難生活では、どうしても大人の都合に合わせられてしまいますので。
 旧グッゲンハイム邸のみなさんの行き届いた配慮に助けられましたし、また食材費や必要物品の運送費などは、以前みなさまからお寄せいただいた支援金からも捻出させていただきました。重ねて感謝申し上げます。

 この日集まったのは、私たちのチャーターバスで脱出してきた人たちにかぎらず、それぞれの判断と手段とで、同じ頃あるいはその後に、仙台や福島やその他、原発の近隣から退避してきた人たち。それから、関西の各地で支援のために何かしたいけれども、何をどうすればいいのか、現地の声を聞きたい、という人たち、など。当初は30人ぐらいが車座で静かに思いを語り合う、ということを考えていましたが、その倍の60人ぐらいは来ていたでしょうか。

 宮城県から逃れてきた人たち、あるいは福島県でも退避指示圏外の福島市などから逃れてきた人たち、さらには関東地方から関西へ避難した親子連れもいましたが、そこに傾向的に見られる悩みは、
・一部の家族や、ご近所、同僚などを残して、自分だけが避難してきたことの後ろめたさ。
・自分よりももっと被災状況が悪い人たちが沿岸地域にいて、その人たちよりも先に退避してきたという罪悪感。
・避難生活が一週間、二週間となり、また3月が終わって新年度なろうとしており、このままいつまでここにいるのか、これからどうするのかという不安。
・見えない放射能が、とくに小さな子どもに対して実際にどの地域まで、あるいは将来的にどれぐらい影響があるのか、情報のなさへの恐怖。

 神戸での集会ということもあり、関西在住の人たちの多くが阪神大震災の経験者でした。しかし、今回の東北大震災と大きく異なるのは、被害が広範囲だとか津波が加わったということだけでなく(地震と津波による直接的被害は一定の範囲で確定可能)、原発震災はなお現在進行形で拡大中であるということであり、その及び範囲は不可視のまま地理的にも時間的にも広がっている、という点です。
 昨日は、資料として武田邦彦氏の記事やブログが紹介されましたが、この人は技術的には原発推進の立場でありながら(異論は多いと思います)、人災としての原発被害にはひじょうに率直かつ実用的な分析をしています(分かりやすいですが断定的で怪しいところもありますが)。武田氏の評価では、50km強にある福島市にも退避指示を出すべき、また福島県および周辺県についても、とくに子どもを中心に可能なかぎり退避、ということです。周辺県というのを具体的に明記はしていませんでしたが、南北に隣接する宮城県・茨城県が想定されているでしょう。また最近のブログでは、風向きからの予想で、明日30日は仙台方面は要警戒とのこと。
 http://takedanet.com/

 結局、福島県および周辺県にとどまっていれば、これから最低数ヶ月から一年ぐらいは、毎日風向きを気にして、今日はどっちに放射能が流れてくるのかをにらみながら生活をしていかざるをえないわけです。
 昨日の集会でも、原発報道が小さくなっていったり、あるいは慣れのためか危機意識が世間的には低下していっているのに反して、確実に炉心や格納器の損傷が確認されており、また冷却システムの確立のメドもまったく立っていないことへの懸念が語られていました。爆発の危機を乗り越えたとしても、なお数週間から数ヶ月は厳しい状態が続くでしょうし、冷却システムが確保されたとしても、それから数年は冷やし続けなければ安定は得られない(放射能は漏れ続ける)。
 参加者たちはみな、戻れるなら戻りたいけれども、いま子どもを連れて戻るという判断はとてもできない、しかし新年度・新学期で仕事や学校が始まるので、どうすべきかギリギリまで悩む、という感じでした。


 被害の比較や罪悪感は心理的にはよくわかるものの、それでは、これだけの死者を前に「生きていただけ自分は幸せ」ということにとどまり、原発政策を問いなおす、批判するということができなくなってしまいます。また自分はよりマシとなれば、みんながが脱出するまで自分は動けないということになってしまいます。「復興」が語られるようになるにつれ、苦しくとも耐えてその場にとどまることが規範であるかのような雰囲気ができてきています。
 そうではないんだ、自分は移動しながら、周囲の人たちにも原発の危機を呼びかけ、原発政策を公然と批判していき、そしてオルタナティヴを模索していくんだ、と。そういう意見が交わされました。そういうふうにして私たちは生存のために闘い、生き残っていくしかないのだと思います。

 関西方面の参加者から、昨日の場も含めて、語り合うコミュニティの重要性が指摘されました。こうして避難者たちが語り合う場、そして、被災地のなかで語り合う場。すでに、その動きは始まっています。
 また、神戸長田区から始まった「FMわぃわぃ」の経験を語られたキムさんから、在日外国籍者を含めて、多様な背景・事情にある人たちの置かれた苦境や取り組みを発信していくことの重要さを指摘されました。多様なネットワークが必要です。

 みなさまからの支援に感謝しつつ、必要に応じて援助金の一部を、そうしたコミュニティづくりにも使わせていただくことをご了承ください。

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