早尾貴紀:原発震災関連

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zoom RSS 仙台を緊急に脱出して大阪に避難してきました

<<   作成日時 : 2011/03/15 02:13   >>

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(3月14日記す)

みなさま

 先の私のBCCでの連絡にも、たくさんの方々からご返信をいただきました。
 ありがとうございます。
 もう少し落ち着くまで、個別にご返信できないことをお許しください。

 充電がなくなって続きが書けませんでしたが、大阪に来てアップル・ストアで電源アダプタを入手することができました。
 そういうことで、現在大阪に避難してきています。

 朝早く、子どもを起こし、
「仙台を離れることにした。キミはもうこのおうちには戻れないかもしれないことを頭においておいてほしい。最低一週間、もしかすると一ヶ月か一年かかるかもしれないし、あるいは二度と戻れないかもしれない。すぐに着替えをランドセルに詰めなさい。1年生の教科書とノートは全部要らない。もう3月中は学校はない。グローブはもっていっていいけど、バットはあきらめるように。」
そう言いました。

 避難の第一の理由は、福島原発の事故メルトダウンなどによる、小さな子どもの体内被爆の影響です。
 当然ながら、仙台を脱出することについては、まだ残っている友人らのことを考えると、後ろめたさがあります。
 しかし、まだ脱出する手段があったはずなのに、その選択を自分がしなかったことで、もし子どもを被爆させてしまったとしたら、それで自分が後悔するだけでなく、子どもの将来に対する責任について取り返しのつかないことをしてしまうことになると思いました。

 付随的には、小さな子どもは被災地にいるだけで、いろいろ優先してケアすべき対象となります。また小さな子どもがいる親はそれだけで十分に動くことができない一方で、やはり一人分の食い扶持となります。そういう家族はできるだけ早く離れるほうがいいと判断しました。

 福島原発で一つ目の爆発が起こった段階では、様子見をしながら最低でも一週間と考えて出る決断をしました。
 しかし仙台では、仙台駅は復旧の見通しなし、空港は完全に壊滅、高速道路は通行規制で緊急車両のみという、封鎖状況にあるため、一般道から山形に出て、山形空港から出るしかありません。その山形に向かう途中のラジオで、二機目の爆発を知り、子どもには、「たぶんキミはもう仙台に戻ることはないかもしれない」と言いました。

 山形県境を越えると、信号も動いており、お店も普通に開いており、わずか車で一時間ほどが別世界であるのに驚きました。一時間離れたところに食べ物も電気もあるのに、なぜ仙台には入ってこないのか。一般道には規制もないのに。
 そこで連れの皆川は、自分だけは食料や医薬品や生活物資を積んで仙台に戻ることを選びました。
 出発前から、自分だけが離れていいのかと逡巡していましたが、「子どもを逃がしたいという目的からしたら、大人が二人も出る必要はない。自分は運転ができるし、安否が気になる友人もたくさんいる。幸いガソリンは、仙台に戻る分ぐらいはギリギリ残っている。」と言って、断固として戻ると言い張りました。
 その時点で、阪神大震災のときの支援活動経験者に、本当に避難所で必要になるものは何か、電話で問い合わせ、種々の医薬品、女性用品、暖を取るもの、分配しやすい食品など、自動車いっぱい積み込んで仙台に戻っていきました。

 実は、三人で仙台を離れる決断をしたときに、自宅に残っていた一切の食料(野菜・卵)や灯油などを自宅近くの避難所(私の子どもの小学校)においてきました。そのときに、まだ何も入ってきていないということを言われ、支援物資の必要性を感じていました。その物資が目の前に並んでいるのに、それを買って届ける能力が自分にはあるのに、それをしないで仙台を離れていいのか、という思いは、もちろん僕も共有します。

 僕と子どもとで山形空港に残り、臨時便のキャンセル待ちをすることにしました。
 しかし、たいへんな混雑で(とはいえ、まだ大半が東北地方に旅行中か出張中の人という段階)、キャンセル待ちのための整理券をもらうところから行列をつくるという状態。並んでいるときに、「基本的に全便満席状態。今日の便に乗れるかはわからない。明日の便についてはまた明日朝から並ぶしかない」。そう係員から言われ、とにかく整理券の番号を見つめながら、今日のうちに呼ばれることを祈りました。
 幸運なことに、臨時便の最終便の最後のほうに滑り込み、夜に大阪に着くことができました。

 大阪に着くと、空港から市内へのバスのなかから広がっていたのはさらに別世界。新大阪駅では、大震災はどこの国の出来事なのかという感じで、頭が混乱しました。
 しかし、ホテルでようやくテレビを観ることができ、停電下の仙台では観られなかった生々しい洪水の濁流の映像と、そして原発の爆発する映像を映像として目にしました。そして三機目が危機的状況にあるというニュースに接し、このタイミングで仙台から子どもを出せてほんとうによかったという気持ち、また逆にまだ仙台にいる多くの子どもたち、私の子どもの同級生たちのことが頭をよぎり、そしてまたとめどなく悪化していく原発の状況に恐怖感が募りました。

 大阪での朝をさらに最悪を更新するニュースで迎え、子どもは仙台には簡単には戻れないだろうと観念し、子どもにもそう伝えました。
 それと同時に、一刻も早く他の人たち、とりわけ小さな子どものいる家族を仙台から脱出させなければならないことも明白になりました。
 仙台に残った皆川とともに連絡を取り合い、自分たちの経験を参考に、具体的にいくつかの家族の脱出の手配をしているところです。また、友人の赤尾さんの尽力で、大阪での受け入れ受け入れ可能性も探っています。

 みなさんにもお願いです。これについては、別便でまた詳しく書きますが、現在の報道で伝わってくる「30km屋内退避」という段階はとっくに過ぎていると思います。すでに仙台よりも遠い地点で、健康被害が予想される数値が出ています。とくに小さな子どもがいる家族を福島や宮城で知っておられる方々は、退避を呼びかけてください。

 また余力があれば書きますが、その前に、関西在住の幾人かの方々には直接メールか電話をさせて、上記の脱出と受け入れの計画をさらに進めるための相談をさせていただきたいと思います。ご協力、よろしくお願いします。

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