早尾貴紀:原発震災関連

アクセスカウンタ

zoom RSS 福島での集いを受けて/京都キャンプ計画進行中

<<   作成日時 : 2011/04/26 14:37   >>

トラックバック 0 / コメント 0

みなさま

 BCCで早尾です。

 昨日、福島で「子どもたちを放射能から守るための集会」に参加しました。とうとう仙台から東京方面の新幹線が昨日復旧したので、新幹線だとわずかに30分(放射性物質にとってもかなり近いですが)、これで行こうと思ったら、いきなり電気系統のトラブルで長時間運休。在来線で行きました。

 まだ「準備会」ということであったにもかかわらず、100名を越える参加者が福島県内のあちこちからあり、各8名のグループに分かれての意見交換、そしてその集約と、活発な議論が行なわれました。おそらく「フクロウの会」と「福島会議」のほうで集約して、5月1日の集会でさらに発展させることになると思います。
 みな口を開くと傾向的に共通するのが、3月中に自主避難した人もしなかった人も、地域社会や学校から孤立するのではないかという不安、後ろめたさ。こういう場に参加した人たちは、その思いをみな共有できるけれども、でもそれぞれの地元に帰ると「気にし過ぎ」のマイノリティ。場合によっては白眼視。
 これについては、ぜったいにそんなふうに、避難した人/しなかった人というところに対立軸があるんじゃないということを、何度も強調しなくてはならないと思いました。
 それにしても、昨日夕方に福島市を歩くと、帰路につく高校生らがみなマスクをしていない。これはこれでつらいものがありますが、今朝の小学生らの登校時間では(郡山市で見ました)、本当に小さな低学年の子どもたちが軽く半分以上はマスクをしている。これもまたつらい光景でした。
 ニュースにもなりましたように、福島県内で、公園利用は1時間制限。これが「客観的」に報道されているということだけで愕然とします。もうそんなところに子どもがいていいはずがない! 自分の頭がおかしいのか、このニュースがおかしいのかと、苦しみます。
 政府・文科省は、秩序維持・経費節減のために、福島の子どもを犠牲にするということを、強い意志をもって決定したのです(歴史上に残る大犯罪です)。福島の子どもたちは危険を甘受して移動してはならない、という命令を出したのです。「20ミリシーベルトの撤回を」と断固として言うべきですが、しかし、文科省に何かを頼んだところで時間が浪費されるだけのように思います。

 ではどうするのか? 嘆願ではなく、実力行使しかないと思います。
 やはり異常な放射線量です。昨日の資料でも、2マイクロ毎時なんかでは済まない、それをはるかに越える数値が各学校で出ていることが示されていましたが、これで教員は、校長は、子どもを預かって責任が取れるのか。責任がもてないなら、休校や、あるいは県外での「校外授業」の実施など、決断をするところが、一校だけでも出てきてほしい。一校出れば、もう一校が出てくる、そして連鎖的に動きが出てくるのではないか。役所にではなく、教育現場の人たちに働きかけをしていくべきではないかと思いました。作戦を考え中。
 個別の避難がそんなに難しい選択であれば、学校単位、教室単位、地区単位、そんなふうに疎開教室が動かないといけないわけですから。

 それから、前にも紹介しました「こどもキャンプ」。GWに遠くに出かけるのは普通のことですから、何も人目をはばかることはありません。遠く離れた京都で、マスクを外して存分に外遊びをしてほしい。まだ参加枠はありますので、気になる方にはぜひ申し込んでほしいと思います。問い合わせは私まででもかまいません。
 詳しい案内は一つ前の記事を見てください。
 http://hayao2.at.webry.info/201104/article_14.html


 もう一点。
 昨日知り合った参加者で、ひじょうに積極的な提案をしてくれた方がいまして、感銘を受けました。
 この放射線量では子どもは避難させなければならないのは当然としても、しかし、「いったいいつまで?」という先の見えない不安も、避難そのものを妨げる要因になっているわけです。やはり、故郷が住めるようになることこそが、最大の希望なのであり、「住めるようになるまで」という限定がつけばこそ、避難をする障壁も減るわけです。では、どうすればいいのか。
 要するに、除染をするしかないわけですが、それがどれだけ有効なのか、まだ詳しく調べないといけないものの、さまざまなデータから、原発からは、三月の爆発のその後からは、郡山市や福島市までは放射性物質が届いていないという観測があるそうです。いま検出されている放射線量の大半が、地面に落下しそこから舞い上がるセシウムによるものであり、新しい飛来による線量の増加はほとんどないのではないか、とのこと。
 もちろんこの前提には、もし原発がこれ以上劇的に悪化しなければ、ということがあります。この前提が崩れたら話にはならないわけですが、しかし、福島の人としては、その希望がなければ避難もできない、ということがあります。
 やはりここでも二正面作戦です。除染には土壌の入れ替え・土壌改良が必要ですが(具体的な提案もありました)、これにどれだけの時間と手間と費用がかかるのか。それまでのあいだはやはり子どもは避難させておくのが理想ですし、あるいは原発悪化の事態に備えて退避の準備はつねに必要。
 やみくもに避難を叫ぶだけでは、その必要性は分かりつつも、前向きに生きる気力が湧かないし、自分たちの手で土地を取り戻すためにもう動き始めるべきではないのか(最悪の事態に備えた担保は必要としても)、そう一人の参加者から個人的にも強く持ちかけられて、数人で閉会後も話し合いました。
 放射性物質の飛散状況についても、また原子炉安定化の見通しについても、楽観的にすぎるという意見があるかもしれませんが、もうすでにドン底に落ちた中から這い上がるには、こういうところに希望を見いだし、そこに賭けて、自ら調べる、自ら動く、ということが地元から出てくるということがとても大事だと思いました。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

福島での集いを受けて/京都キャンプ計画進行中  早尾貴紀:原発震災関連/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる