早尾貴紀:原発震災関連

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zoom RSS 避難を迷っている親御さんへの手紙

<<   作成日時 : 2011/05/31 20:30   >>

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(以下は、避難したいけれどもその決断の一歩手前で迷ったり躊躇したりしている、小学生の子どもをもつある親御さんに向けて書いたメールを、多少手直ししたものです。相手は福島県の友人の知り合いで、直接面識はなかったのですが、同じ小学生をもちながら避難を体験したときのことを書いてほしいと、友人から頼まれました。)

 私は小学校2年生の子どもをもつ父です。

 子どもの樹人(たつひと)を、4月の一ヶ月、京都の小学校に通わせました。
 また、いまは仙台に戻しましたが、やはり危険を感じるので、再度、京都に疎開させるか、あるいは私の仕事のある東京に避難させるつもりでいます。
 子どもは、当然ですが最初は転校を嫌がりましたし、私も心配していました。樹人は体も小さく、クラスでは地味な存在。いわゆる内弁慶というタイプです。
 でも、結果から言うと、驚くほど早くに適応して、わずか一週間で、「ずっと京都でもいい!」と言うようになりました。京都の学校側の配慮のおかげもあったと思います。

 少し展開を詳しく書くために話を戻すと、3月の地震と原発爆発のときは、親子で仙台にいました。
 3月中はどうせ学校はなくなったので、ずっと子どもと二人で関西方面で避難生活を送りました。
 原発事故が収束に向かうようなら仙台に戻ろうと新聞やネットを観察しながら過ごし、4月のはじめに、子どもを京都に残して、地震以来初めて私は仙台へ戻り、街の復旧具合を見るのと家の片付けのために戻ってきました。新学期に合わせて子どもを仙台に戻せるのかの判断をするという目的もありました。
 しかし、ちょうどそのタイミングで、4月7日に最大余震(震度6強)に遭遇してしまい、再度大停電、さらに宮城県内の女川原発なども電源喪失。とてもこの状況で子どもを戻すことはできないと判断し、京都に戻り、樹人に転校の話をしました。
 もちろん樹人は、「転校するのいやだなぁ」と何度も言っていました。もとの学校に戻りたいな、担任の先生にも会いたいな、ブツブツ。

 しかも、私は4月から仕事が始まり、いっしょに京都にいるわけにはいきません。妻も仙台で自営業をしていますので、樹人を「里親」さんに預けるかたちになりました。
 いきなり新しい家庭と新しい学校で適応できるのか。しかし、小学校2年生ぐらいだと、抵抗する手段はありません。このあたりはきっと、子どもが高学年や中学生ぐらいになると、もっと説得に手を焼くことになっただろうと想像します。「週末はできるだけ会いきていっしょに遊ぶから」ということで納得(?)してもらいました。

 その後、電話で様子を聞くと、「学校楽しいよ〜」。ひとまず安心しました。学校ごとのやり方も違いますし、戸惑うことも多かったと思いますが、教師やクラスメイトにフォローしてもらっていたようです。
 一週間を過ごしてどうだい?、と聞くと、「ずっと京都でもいいな」という思いがけない返事。前の学校に戻りたいって行ってなかったか?、と聞くと、「どっちでもいいよ」、と。
 子どもの適応力の大きさに感心しました。

 5月の連休明けから、樹人を仙台の学校に戻しました。
 里親さんにも自分の子どもがありこれ以上甘えるのもどうかと思ったこと、原発が爆発したりはもうしないだろうと思ったこと、夏休みぐらいまで京都にいたら溶け込みすぎてもう仙台に戻れなくなってしまうと心配したこと、などを判断し、連休明けに戻すことにしました。
 戻るときはまたそれも「転校」ですから、ちょっとは心配しましたが(2年に上がるときにクラス替えもありましたし)、それも杞憂でした。「なんでいなかったんだ」と避難をからかわれるのではないかとか、そういうことも考えましたが、これも中学生ぐらいになると友だち関係もまた別なのかもしれません。やはり小学校ぐらいだと、適応が早いのと、あまり余計なことまで考えすぎない、ということがあります。

 こうして連休明けから、もうすぐひと月です。
 しかし、いまは戻すべきではなかった、という気持ちが強まっていて、再度、樹人を京都の学校に転校させるか、悪くとも東京に移そうかと考えています。
 5月中、いろいろなことがありました。
 自分でガイガーカウンターを手にして、細かに測ったところ、側溝など異常に放射線量が高いところが身近にあり、放射性物質が生活環境に溜まっていることが分かりました。仙台の野菜からはヨウ素も検出され、いまでも新しい放射性物質が飛んできていることも明らかになりました。内部被曝の専門家である矢ケ崎克馬先生を招いて講演会・学習会をして、見た目の放射線量なんかよりも内部被曝のほうがはるかに危険だということを知りました。そして、手に入る食品の大半が宮城・福島・茨城・栃木のものに限られてしまいます。
 そして、先週授業参観とクラス懇談会で、上記のような心配を担任と保護者らの前でしゃべりましたが、全員反応なし。そのことが怖くなりました。この学校では、仙台では、子どもを守ることはできない、と。

 矢ケ崎先生は、気密性の高いマスクをしたり中にぬれガーゼを入れるとかなり内部被曝は避けられると言いましたが、それでも完全には防げないとのこと。しかし小学生がそんなぴったりと締め付けるような防護マスクを一日中しているなんてことは不可能です。一度普通のマスクをさせましたが、噛んだり、引っ張ったりして、すぐにダメにしてしまいました。
 登下校時には、路上のものなどすぐにいたずらします。手もきちんと洗っているのかもわかりません。歯が生え変わる時期なので、揺れる歯をその手で触ってしまいます。ここに住みながら注意をするなんてことは無理だと思いました。
 また、私の子どもは野球少年です。私が家にいれば、ずっと外でキャッチボールとバッティング。土・日は午後ずっと野球教室です。
 それをするな、家に閉じこもっていろ、というのは不可能なほど活発で、またマスクをしてのスポーツなど不可能。おそらく、常時マスクさせて一切外に出さないなんてことをしてしまったら、それは別人になってしまう、あるいはストレスで病気になるのではないかと思います。

 さらに、原発の状態は予想以上に悪く、今後爆発はしないまでも、しばらくまともに手をつけることはできないことも明らかになりました。メルトダウンを正式に認めましたが、つまり原子炉を開けて解体することなど10年は不可能で、石棺処理をするにも何年もかかるということです。そのかんは、どうしたって新しい放射性物質を空中に出し続けることになります。特殊布で覆うというプランがありますが、それが成功するまで止まらないと思います。矢ケ崎先生にも、「仙台はやめたほうがいい」と個人的に言われました。

 そんな感じで、ここ最近、再度転校する方向にぐっと傾いてきています。子どもには精神的には負担だと思いますが、「外の安心できる空気と食材」を知っている者としては、やはり外に出すことが最大の安心なのだと強く思います。学校の問題、友だちの問題は、もし何かあっても対応可能です。でも、放射能には勝てません。防護や除染は部分的にできても、避けようがない、そして子どもへの影響はとても大きい。そのことを考えたときに、私としては、転校を選ぶしかないかな、と判断しています。

 参考にしてもらえれば幸いです。

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