早尾貴紀:原発震災関連

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zoom RSS 甲府一ヶ月/仕事の再開/避難支援の現在と今後

<<   作成日時 : 2011/12/06 23:26   >>

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日頃ご心配くださっているみなさま、原発震災でご連絡くださったみなさまへ

 甲府より早尾です。

 11月が終わり、もう12月に入ってしまいました。みなさんもそうだと思いますが、月日の流れに身体感覚がついていきません。


1、甲府一ヶ月

 子どもの樹人(たつひと)を疎開先の京都から呼び寄せ甲府に移住して、早くも一ヶ月が過ぎました。
 小学二年生。震災直後、春に京都に転校、一時的に仙台に戻すも、土壌・海洋汚染と、食糧汚染のひどさから再度京都疎開。そしてそのかんに、仕事をしながらいっしょに暮らすことのできる土地を探して、これで最後と思い甲府移住。震災から一年にも満たないわずかな期間で都合4度目の転校をさせてしまいましたし、彼が生まれ育った故郷から、すなわち3.11まで彼の生活世界をなしていたすべてものから、最終的に引き剥がすという選択をしました。大きなストレスと試練を与えたと思います。
 この決断がはたして本当によかったのかどうか、傍目には、見えない脅威に晒されて右往左往しているように映るかもしれませんが、境界線もなく先行きも見えない放射能汚染時代のなかでは、限られた最低の選択肢の前でジタバタするしかないのだと思っています。

 転校初日、樹人は、「嫌だなぁ、緊張するなぁ」とブツブツ言いながら家を出ました。まだまだ大きすぎると感じられるランドセルを背負った小さな背中が見えなくなるまで、ただ元気に帰ってきてくれればと思って見送りました。私はその週は勤務先の大学祭期間と土日と休講を合わせて、丸一週間休めるようにし、子どもの最初の定着を見守ることにしていました。
 初日の下校時刻が近づくと、窓の外に目をやっては、樹人の帰りを待ちわびました。どんな表情で帰ってくるのか。一方では、半年も親元を離れた疎開生活をしのいだ彼の経験と適応力と成長を信頼していましたが、しかし他方では、やはりなんだかんだ言ってもまだ7歳の子どもです。心配でないはずがありません。
 その樹人が、午後3時頃、小走りに明るい笑顔で玄関から飛び込んできました。「ただいま! 楽しかったぁ!」。無邪気に喜んでいる樹人を抱きしめながら、私のほうがホッとして泣き出しそうになっていたと思います。
 「みんなで輪になって全員が自己紹介したの。一人だけみんなの前に立たされるのかと思って心配していたけれど、おかげでみんなとすぐに仲良しになった!」、そんなちょっとした担任の気遣いがありがたく感じもしました。

 樹人は、仙台でやっていた野球部を中断したまま、京都では私が行くときにするキャッチボールぐらいで我慢せざるをえませんでしたが、甲府に行ったら必ず野球部に入るんだと強く主張。また、疎開先の京都の学校で初めて手にしたそろばんを甲府でも続けたい、そして避難・疎開中に上達してきた将棋も本格的に習いたい。そう自分から言いました。
 もう暫定的な避難や疎開の生活ではない、本当の生活の場を手にしたのであれば、貪欲にやりたいことをやる。その意志の強さに成長を感じもしました。内気で、どちらかと言えば「味噌っかす」(体もクラスで一番小さくおとなしい)だった樹人からは、一皮むけたような印象を得ました。
 実際、転入した初日から、野球部、珠算教室、将棋道場を探し歩いて(そしてそれらは幸運なことに、次々と近所に見つかった)、臆せず自ら足を踏み入れては、どこでも最年少であるにもかかわらず、即座に入会を決め、一週目にしてすべての曜日に何かしらの活動を自分で組み込んだのでした。
 そして彼が口にしたのは、「甲府サイコー!」。この一言で、彼に棄郷を強いた自分の決断がともすれば揺らいでしまい、罪悪感さえ覚えるのが、救われたような思いでした。激変する状況を、すべてを受け入れていき、危機を好機に変えた樹人。思い起こせば、3月の緊急避難(とはいえ二度と戻らない可能性もすでに言い含めた)のときも、4月に一人で残される疎開(しかも期限を定めず)のときも、彼はただ受け入れ、そして順応してきました。そこに私のほうが甘えた面もありました。
 甲府移住から一ヶ月。野球も将棋も珠算も存分に楽しんでいる樹人の姿に助けられた思いを日々重ねています。


2、新しい生活と仕事の再開

 こうした長い避難・疎開生活にいちおうの終わりを告げ、最終的に移住という選択をしました。しかし、これで解決したわけでも終わったわけでもありません。というのは、「元の生活」はもはや取り戻せるわけではなく、「新しい生活」を創り出さなければならないからです。それはこれからの長い作業になりますし、それをするためのいろいろな条件が変わってしまいました。家族のかたちも変わりつつあります。また、そういう決断を私自身がしました。
 3.11でぶっ飛んだままになっているたくさんの仕事も再開しなければなりません。書き物、翻訳、などなど。実は煮詰まっていたのを、震災を口実に先送りしてしまっていたものも少なくはありません。(BCCに入っている担当者のみなさまには、この場を借りてお詫び申し上げるとともに、これを機に、徐々に仕事を始めていくことをお伝えしたいと思います。申し訳ありませんでした。これまで、私自身の避難や避難支援活動を見られて、催促の手を緩めていただいていたことと思います。感謝いたします。)
 子どもだけが先へ先へと進むのを、ただ目を細めて見ているわけにはいきません。自分が自分のすべきことをしなくてはならない、と、それを保留していられる時期はもう終わったのだ、と、そういう思いを強めています。


3、避難支援の現在と今後

 他方で、3.11から8ヶ月、もうすぐ9ヶ月になろうとしていますが、なお避難するや否やで揺れている人たちにとっては、事情は違います。原発事故からまもなくの初期のうちに避難した人たちにとっては、いつまで不安定な避難生活が続くのか、どこで生活再建をするのか、そういうことが課題になっていますが、実際には避難できなかった人たちのほうがずっと多くて、そういう人たちが不安を抱えたまま適切な情報や支援を得ることができないまま何ヶ月も過ぎてしまいました。
 しかし、夏休みキャンプの時期も過ぎ、避難の動きは沈静化。そしてどんどんと、避難の話は「タブー化」していっていると、福島に残っている人たちから聞かされています。行政の煽る「除染キャンペーン」は、すなわち「避難させない」という強い意志であり(現実には個人任せの除染は不可能で、被曝リスクを高めさえします)、そしてまた、これまで居残ってしまったことへの諦め感や、自分だけ逃げることの罪悪感、あえて被曝地に残ることの英雄視、などなどの人間心理さえもつけこまれてしまい、「逃げる=悪」という刷り込みが浸透してきています。

 そうした状況を打開すべく具体的に動き始めたのが、札幌「むすびば」であり、自ら足を運んで頻繁に福島市・郡山市で避難相談会を実施、私も10月と11月に二回ほど同行参加しました。そしてさらに「むすびば」からの提案で「放射能からいのちを守る全国サミット」が動き始めました。年度末の動きの最活性化につながることを期待して、来年2月11日に開催し、またその準備をしていくなかで全国各地で避難者の受け入れ支援をしている団体をネットワーク化していくことを目指しています。みなさまの注目と支援をお願いします。
 私もその末席に加わり、このサミットの成功と、その後の展開を期待しています。

 しかしとはいえ、どれだけ汚染地域にいる人たちの「出るに出られない個別事情に寄り添えるのか」が大事なのだと思っていて、それができるのは組織ではなく、あくまで「個人」だと思っています。数ではなく、一人でも避難させることができればそれがとても大きなことなのであり、そしてその一人に向き合うのはあくまで「個人」であるということです。
 そういう思いを3月からずっともっていますし、それは避難相談を重ねるごとに募ってきています。
 いまもときおり、突然のメールや電話で相談をもらうことが続いています。おそらくこの先もしばらくはそうでしょう。


   *   *   *


 最近の動向あれこれ。

 12月3日に、教育関係者のシンポジウムで避難関係のことを話しましたが、福島の某大学の責任者が、「除染して残る」の立場で隣にいたもので、言い回しに苦労しました。こういう人との対話が必要だと思いつつも、平然と「キャンパス内に3マイクロ以上のホットスポットを徹底して探し出して除染する方針」などと言う。3マイクロっていうのは国の基準そのまま。0.3でも私は自分の子どもを置いておきたくはないのに、この人は未来ある若者をそんな環境に置いておけるのかと愕然。しかも事故から9ヶ月も経つというのに、まだそんな悠長なことを言っているのか。

 12月17日、勤務先の東京経済大学で学生団体が矢ケ崎克馬氏を招いて講演会をします。5月に郡山や丸森に来ていただいて以来、いろいろお世話になっている矢ケ崎さんです。いま最も必要な発言を各地で重ねてこられています。
 17日(土)14:40〜、東京経済大学(国分寺)、K102教室です。

 『世界』12月号に、新城郁夫さんが「沖縄の傷という回路」という大切な文章を書かれました。このかん、一燈園に学んだ阿波根昌鴻氏の「命どぅ宝」をめぐって新城さんはメールをくださいましたが、沖縄と福島をどのように結びつけて考えるのか、鋭い感性で問いかけられています。
 「死に向けて人々を束ね、逃げることを許さず、殺されていった人々を国家再編の資源として美談化して利用するという、沖縄戦で沖縄住民に向けてなされた行為は、基地を押しつけられている今の沖縄だけでなく、この国のいたるところで反復されている。」そうした国家から、私たちがいかに自律できるのか。いま私たちに問われている最も大きな課題です。ぜひ読んでください。

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