早尾貴紀:原発震災関連

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zoom RSS 陜川(ハプチョン)非核・平和大会・世界核被害者証言集会スピーチ全文

<<   作成日時 : 2012/03/24 23:36   >>

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韓国「2012 陜川(ハプチョン)非核・平和大会」世界核被害者証言集会(3月24日)での早尾のスピーチ(若干の加筆訂正)。

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 私は、昨年3月の福島原発の爆発ですぐに故郷を棄て去った人間です。福島県に生まれ育ち、そのすぐ隣の宮城県で暮らし、東北地方の福島・宮城から出たことがありませんでしたが、そのいずれの故郷にも戻るつもりはありません。被災時7歳だった子どもが一人ありますが、原発の爆発とともに、「ここには二度と帰ってこれないよ」と言って、わずかな玩具と着替えだけをカバンに詰め込ませて、故郷を離れました。震災から一年、一度も福島の実家には連れていっておらず、私の両親、つまり彼の祖父母に会わせていないのです。さらに半年ものあいだ、わずか7歳の子どもを、一人関西の里親さんのところに疎開させ、そしていまは、これまで何の縁もなく旅行でも行ったことのなかった山梨県に移住し、子どもを関西から呼び寄せました。しかし、朝目覚めると、自分がどこにいるのか混乱し、山梨で生活しているということにまだ現実感が持てないでいます。現実感がともなわないほどのスピードでこの一年、状況が激変してしまっています。

 いま、福島ならびにその周辺の放射能汚染地帯で起きていることは、緩やかに進行するジェノサイド、大量虐殺であると私は認識しています。もちろん、すぐに全員が亡くなるということではありません。しかし、チェルノブイリ事故では強制移住となるレベルの汚染地帯、あるいは移住権利の認められるレベルの汚染地帯が、福島県とその周辺に存在しているにもかかわらず、日本政府はその住民を被曝地に留め置こうとしているのです。命よりも経済と秩序を優先し、私たちは切り捨てられる。統計的には確実に被害が出るにもかかわらず、個別の因果関係は否定される、そういう汚染地から避難することを認められずに閉じ込められているわけですから、その地域の住民の命は全体として削り取られ、切り捨てられていきます。これをジェノサイドだと感じたのです。
 一年前、原発爆発直後、政府が安全だと言い募ったときも、瞬間的に、住民は見殺しにされると確信しましたが、一年を経たいま、そのことはいっそう明確になりました。

 日本の東北地方の人間として、「東北」の歴史と位置づけについて、世界のみなさんの前で語らなければなりません。今日、この大会は陜川(ハプチョン)でおこなわれていますが、それは広島での朝鮮人ヒバクシャの主要な出身地であったからであり、この場所に意味があるからです。そうであれば、私は「東北」という場について語りたいと思います。なぜ東京の電力を供給する原発が東北地方にあるのか、なぜ核政策の要である核燃サイクル工場が東北地方にあるのか。
 東北地方は、日本の近代国家が成立した1868年の明治維新のときに、中央集権体制に反対して、独自の国家を目指して独立宣言を出した地域です。もちろん内戦となり、敗北した東北列藩同盟は、平定されて明治体制の周辺地域として組み込まれました。
 その延長線上に、アイヌ侵略、琉球処分、そしてアジア各地への帝国主義的膨張がありますが、その原点は東北支配でした。明治国家の発足時に反乱した「賊軍」扱いをされた東北はその「汚名」を晴らす動機があったこと、貧しい農村・漁村が多かったこと、また首都圏・関東と地続きの地域であること、そういった事情から、過剰なまでに国家に従属させられ、また自ら従属していったという面があります。東北の人々は、北海道・沖縄も含むアジア各地の植民地主義的膨張のときの「尖兵」になりましたし、また東北地方は首都圏への労働力や、米をはじめとする食糧供給源になりました。
 日本の核エネルギー政策における東北地方の役割、すなわち、電力の供給源、しかも危険な原発と核廃棄物の処理施設とが置かれたのは、こうした地理的・歴史的背景によるものです。

 だからこそ、深刻な事故が起きたとき、東北地方の私たちは犠牲にされると思いました。利用もされ、そして棄てられる存在として東北はあったからです。それに対して対抗する手段は、まずは「逃げる」ことです。被曝を最小限にするには、ただ避難するしかありません。国家は住民を守らないし、国家と正面から長期戦をして避難の権利と補償を認めさせるには、時間がかかりすぎます。いま福島の被曝は現在進行形なのです。国や司法の動きを待ってはいられません。そのあいだにも日々、被曝が強いられているのですから。とりわけ自らの意思で避難をすることのできない子どもたちが、気休めの線量計を胸にぶらさげて毎日登校する姿は、直視できないほど痛々しいものです。私は、そんな環境のなかに自分の子どもを晒しておくことに耐えられませんし、そこに残らざるをえない人々で不安に思っていない人はいないと思います。
 それゆえ、私がこの一年、自分と子どもが緊急避難してから、ずっとやってきたこと、いまなお継続してやっていることは、放射能汚染地帯から自主的な避難を支援することです。避難するための情報を提供し、受け入れ先を確保し、移動・転居を支援すること。「安全だ、とどまれ」という国家の命令に抵抗して、逃げること、避難すること、移住すること。放射能に勝つすべも人類は持ち合わせてはいません。逃げるしかないのです。去年の3月から、ただそれだけをやってきました。
 福島に入り避難相談会をおこない直接相談を受け、電話やメールでも相談を受け、北海道から沖縄まで支援団体や地方自治体に受け入れの拡充を要請し、そして相談を各地の団体につなぐこと。生身の人間を、一家を被曝地から移動させることは簡単ではありません。元の生活・故郷を棄て去り、新しい場所で生活を建て直すには、費用もかかります。避難・移住ができるかどうかは、個々の経済条件に左右されてしまう側面もあります。個別状況に応じて、移住費用の援助もする必要があります。
 考えてみれば、異常なことを自分でもしていると思っています。汚染地帯にいる会ったこともない人から、故郷を棄てるという人生を根底から変えうる決断の相談を受け、そして会ったこともない遠隔地の人から、汚染地帯の人が故郷を棄てるための資金提供を受けているわけです。こんな事態は3.11以前にはありえないことでした。

 ですから、今日はみなさんに強いお願いがあります。福島から、被曝地・汚染地から住民が出て行くために、それを支援するために、資金援助をしてください。カンパ要請の用紙を会場受付に用意しました。いまこの瞬間にも被曝を強いられている人々を救い出すために、みなさんの助けが必要です。どうかよろしくお願いします。

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【三井住友銀行 仙台支店 普通 9401592 ハヤオタカノリ】

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